「ミニマリスト」という言葉を聞いて、どんな生活を想像するだろうか。極端に持ち物が少なく、物を増やさないように努め、質素に過ごす、新しい生き方──実はその認識は一部合っていて、間違っている。月100万PVの人気ブロガー・ミニマリストしぶの例を見てみよう。
ここ最近テレビ番組や雑誌などでもよく取り上げられるようになって、耳にしたり、その実態を目にしたりしたことがある人も多いだろう「ミニマリスト」という生き方。
「そんなに物がなくて大丈夫なの?」「買わないようにするのって、大変じゃないの?」おそらくその実態を詳しく知らないままだと、ただ極端に物が少ない、我慢だらけの生活を送る人に見えてしまうかもしれない。
「手ぶらで生きる。」の著者であるミニマリストしぶは、この本を読めばわかるのだが、高いものを買うし、お金を使う。たとえば14万円する洗濯乾燥機も、話題のロボット掃除機も買うし、旅行もする。ただ、「必要のないものを買わない、持たない」だけなのだ。
目次
「ミニマリスト」とは「最適化」である
持たないのは、必要のないものだけ
実はしぶは元々、とても裕福な家庭で育ち、ほしいものは何でも買ってもらえて、物に溢れた生活を送っていた過去がある。中でもファッションが大好きで、お小遣いの大半を洋服やファッション誌に使っていた。だが、ミニマリズムに目覚めたある日、気づいたのだ。
しかし、流行の物や斬新なデザインを買っても着るのはお気に入りの服ばかり。それなら「お気に入りナンバーワンの服」を毎日着続けたほうが、おしゃれで、快適ではないか──と考えたのが「私服の制服化」を始めたきっかけだ。
(「手ぶらで生きる。」p71)
確かに、買ってしばらくはお気に入りでもすぐ飽きてしまったり、買ってみたものの結局着なかったり、意外と服選びはうまくいかない。でも、その中に「これ、いつも着ているな」と思う服はあるものだ。それは確実に見た目や着心地、使い勝手など“定番化”する理由がある。
お気に入りの定番服だけを複数持ち、着ていれば、「毎日大好きな服だけを着られる」「選択をしなくていい」と、良いこと尽くしなのである。しぶはファッションにこだわるからこそ、「一番のお気に入り以外はすべて手放す」ことで快適な生活を手にいれた。
必要のないもの・ことを知る
「ミニマリスト」だけでなく、最近は「これまで常識だったことをやめてみる」流れが増え、そしてそれが注目され、評価されていることが多い。
たとえば「楽器を持たないパンクバンド」として活動するアイドルグループのBiSHや、「声かけ不要バッグ」を導入して接客を減らしたアパレルブランドのアーバンリサーチ、iPhoneからはイヤホンジャックがなくなり、岡崎体育は楽器を持たず歌も歌わずライブパフォーマンスをする。
いずれも、その人や状況にとって「実は必要ないのでは?」と考えてやめたことで、本来大切にしたいことに集中できている。「ミニマリスト」もそうだ。
しぶであれば、先ほども書いた服や、家具に家電など、「実はなくても生活できるのでは」と考えたものを減らし、ときには「やっぱりこれは必要だ」と思えば買い、手放したり買ったりを繰り返しながら「必要のないものを知ったうえで最適化」しているのだ。
実は贅沢にお金を惜しまない
大切なのは自分にとっての贅沢を知ること
ミニマリストになってから「しぶくんって、いい物を持ってるよね。たくさん使えるお金があってうらやましい」と言われるようになった。
当時はフリーターで、10数万円の少ない収入しかなかったのにもかかわらずだ。
お金があるように勘違いされた理由はシンプルだ。「持ち物を少なく絞っているから、一つひとつにお金を多くまわせる」だけのことである。
(「手ぶらで生きる。」p165)
しぶは基本生活にかかるお金は少ないものの、金銭的な贅沢をしていないわけではない。たとえば14万円の洗濯乾燥機を買い、ロボット掃除機を使い、それらを使うことで浮いた時間を有意義に使っている。
多くのものを買わないことで浮いたお金と、便利な家電で浮いた時間で、旅行をするなどの贅沢もしている。
食事についても、「自分の好きなものを、時間をかけて自炊する」ことが贅沢だと感じ、浮いた時間を自炊のために贅沢に使っている。
まずは自分にとっての贅沢を知り、そのためにはお金を使うし、必要な物(洗濯乾燥機やロボット掃除機など)は増やしている。決して質素で物を極端に減らしただけの生活ではないのだ。自分にとっての贅沢を知っているからこそ、無駄なものに使っていたお金や時間が浮いている。
物より経験にお金を使う
経験に使った例を挙げよう。僕は、東京で開催される友人のダンスレッスンに福岡から通ったことがある。
交通費や宿泊費はかかるが、それでも、「絶対に参加したい!」という気持ちを大事にしたくて、思い切って東京へ行った。
そして、初めてダンスを踊れるようになった経験はもちろん、イベントで出会った仲間の家に泊めてもらったり、楽し過ぎて帰りの飛行機に乗り遅れそうになったりしたことのすべてが、思い出として残り続けている。
(「手ぶらで生きる。」p209)
先ほども、浮いたお金と時間で旅行をしている話をしたが、このようにしぶは必要だと思った経験にはお金を惜しまない。逆に、気の進まない飲み会へ行ったり、ダラダラとテレビを見たりしない。時間を生む家電にお金を使うように、自分に必要だと思う経験に使うお金を惜しまないのだ。
「ミニマリスト」は、物が少なく、お金を使う場面も少ないかもしれない。しかし、自分にとっての贅沢なものや経験には、惜しみなくお金を使っている。究極の人生の最適化であり、究極の贅沢なのだ。
たくさんのお金を使ってものを所有するよりも、少額の支払いで必要なときだけ高級品をレンタルしたり、月額を支払ってNetflixやApple Musicのようなサービスで映画や音楽を楽しんだりする。必要最低限のお金を使いつつも、生活に妥協をしているわけではない。
かつては、たくさん稼ぎ、たくさんのものを買い、いいものをたくさん所有することが贅沢とされていた。しかしながら今は、自分にとっての最高の贅沢は何なのかを追求し、本当に好きなものだけに囲まれ、最高の経験だけをして生活をする、「人生の最適化」が大切な時代なのだろう。
(文 鈴木梢)