ジョーブログ ジョー 私が著者になるまで

人見知りだった少年が、“挑戦”を通して多くの人々に勇気と元気を与えるカリスマYouTuberに/ジョーブログ ジョー

#私が著者になるまで

「元3階級チャンプに拳で挑戦」「右翼の街宣車をヒッチハイク」「アメリカ大陸0円横断」など、数々の無謀な挑戦をくり返す異端の金髪ユーチューバー「ジョー・ブログ」。彼の驚異的なチャレンジ精神は一体どのようにして作られたのか? 生い立ちに迫る。

アメリカ無一文横断や南米バイク縦断など、数々の挑戦を発信し続ける人気YouTubeチャンネル「ジョーブログ」のジョーさん。その挑戦はYouTubeの枠にとどまらず、記憶に新しいところでは、AbemaTVの「亀田興毅に勝ったら1000万円」や「亀田×ジョー プロボクサーへの道」という番組企画を通し、我々に感動とチャレンジすることの素晴らしさを伝えてくれた。幅広い世代から支持され、今やYouTubeのチャンネル登録者数は100万人を突破。まさにチャレンジモンスターとも言えるジョーさんだが、意外にも少年時代は人見知りで他人の顔をうかがっているような性格だったという。今回、『瞬発力の高め方』の出版を記念して、ジョーさんにこれまでの生い立ちを聞いた。

人見知りでひとに気を使ってばかりいた小中学校時代

現在ジョーさんは、YouTubeでは様々な挑戦を見せるパフォーマーとして、トークイベントなどでは挑戦することの素晴らしさ面白さを熱く説く若きカリスマとして大勢の前に立っている。

しかし、昔から目立つことや人前に立つことが好きだったのかと聞くと、そうではなかったと振り返る。

「子供の頃も、確かに運動部の活発な子から文化部の内気な子まで別け隔てなく仲良くしていたけど、あくまで男の子だけやねん。女の子に限っては小中学校の時は話した記憶がほぼないな。なんで女の子と話さなかったかというと、単純に人見知りだったということもあるけれど、女の子と絡んでいるだけで『あいつ女と喋っている』といじりの対象になって男友達たちから嫌われんねん。常にひとの顔をうかがい、気を使っていることが多かった」

いつもどうしたらみんなから好かれるのか、そんなことばかり考えていた。みんながやっているから自分もやる。そこに主体性は全くなかったという。スクールカーストではイケているグループにはいたが、そこにもあくまで別のリーダー格がいて、それに付き従っているうちのひとりだった。

「ひとによく気を使っていたのは育った環境かもしれない」

親が離婚してシングルファザーの家庭になったこと、近所に住んでいてよくご飯を作りに来てくれていたおばあちゃんが亡くなったこと、そういったことから周りの近しいひとがどんどん離れていくような恐怖感があった。だから親しいひとが離れていかないように、いつしかひとのことばかりを気にするようになっていったという。ただひとに気を使ってばかりいたから、同時にひとりの時間も好きになった。時には中学校をサボって、ひとり自転車で山の頂上まで行き、ブラックのアイスコーヒーを飲みながら小説を読んだりしたこともあったそうだ。「完全に中二病やな」とジョーさんは苦笑いしながらも、この頃からひとりで何かをやるという行動原理は芽生えたのかもしれないと懐かしむ。また当時、女の子と全然話さなかった件ではこんな冗談のようなエピソードも。

「バレンタインデーも間近な時に、演奏会が控えてておれは鉄琴に選ばれてん。大体、鉄琴とか木琴とかは上手い女の子がやんねんけど、なぜか抜擢されてしまって。それも自分に主体性がなかったから余りでまわされたみたいな感じやった。練習せなあかんってことになって先生がつきっきりで教えてくれたんやけど、要領悪いからもう毎日練習。それでバレンタインデーの日もずっと練習していたら、いきなり女の子にバッとチョコ渡されて。でもなんも話すこともできんから『お、おう!』みたいな感じで受け取ってしもうて。家に帰って親父に話したら、『これはバレンタインデーやからお返しせなあかん』と言われ、親父がハンカチやチョコがセットになっているやつを買ってきてくれた。でもずっと話しかけることができずホワイトデー過ぎてもうて、でも行かなあかんしってことでその子の家のインターホン押してやん。そしたら別のひとが住んでた。遅すぎて転校してもうてた(笑)」

勇気を振り絞りボクシングの監督に電話をかけたことで、パチっとスイッチが入った

人見知りでひとに気を使ってばかりいたジョーさんに変化が生まれ始めたのは高校に進学してからだった。地元のコミュニティから外に出てみようと思ったジョーさんは、受験勉強を頑張ってちょっと離れた進学校に入学。しかし、そこではこれまでの学校生活と違って、授業を真面目に受ける生徒たち、サッカー部に入ってみても、どうせ受験があるからとサッカーにそこまで本気ではない部員たち。そういった光景を見て、なにか違和感を覚えたという。そして高校2年生の時に転機が訪れた。まず、厳しかったおじいちゃんが亡くなる間際に「がんばりや」とジョーさんを励ましてくれたこと。それまでは単に厳しいだけのひとだと思っていたが、実はとても愛されていたことの裏返しだったことに気が付いた。そのことで改めて自分の人生と向き合うようになった。そしてもうひとつ大きな出来事として、テレビでたまたま見たボクシングのドキュメンタリー。そこには真剣に勝負に挑んでいる男たちの姿があった。魂が震え、自分も「ああなりたい」と思ったそうだ。それからというもの、ちょっとずつ自分を前に出し始めるようになった。文化祭では委員長になり、吉本新喜劇を呼ぼうとして実際に動き出したり、運動会でも先頭に立って企画を立ち上げた。同時にボクシングジムにも通い始めた。ただ地元のジムには初心者から丁寧に教えてくれるところがなく、ジムでは自主練の日々が続いた。

そんな中、受験期間に入っていった。100人いたら100人進学は当たり前、関関同立はもちろんのこと、国公立や早稲田慶応も目指す学校だったので、ジョーさんも当たり前のように受験勉強をしていたが、やればやるほど本当は何がしたいのか悩むようになっていったのだという。

「親父の反対を押し切ってやっと自分で踏み出してジムに入会した。なのにまたまわりがしているから勉強をやっている自分がいた。せっかく自分でボクシングやりたいってやり始めたところやのに、なんでおれは受験勉強をやっているんやろ。それじゃおれは、いい大学に入って就職したいんかと。そもそも就職ってなんやねんみたいな。その時、本屋に行って『13歳のハローワーク』という本が売れていたから、ペラペラとめくっていったんやけど、どの職業もピンとこんねんなと。でもボクシングは自分で始めたことやから、もっと強くなりたいと思って自分なりに筋トレやシャドーとかめっちゃやっていたわけやねん」

そんなひとりで頑張っているジョーさんを見て、ジムのトレーナーが「ここでは教えられる環境がないから、沖縄に行ってみてはどうか」と提案してくれたそうだ。沖縄には、かの有名なボクサーを育て、不良をボクシングを通して更生させたりと社会貢献もしているすごい監督がいるから会いに行ってみてはどうかと。

「おれもそこに行ったら違う世界が見れるのかな。怖いけどワクワクするし行ってみたい!」

毎晩、寝る前に勉強との葛藤。しかし気がつけばインターネットでそのひとを調べている自分がいた。電話番号もわかり、ある日、学校を休んで公園でひとりバンジージャンプに飛び込むような勢いで電話をかけた。そしたらその監督は突然の電話にも関わらずフレンドリーに話してくれて、「おれも熱い若者大好きだからいつでもおいで」と言ってもらえた。もうその瞬間パチっとスイッチが入った。そんなすごいひとでも行動すれば会えるんだと感じた。それから沖縄に行く資金を貯めるために、朝刊の新聞配達のバイトを開始。朝2時半起きを2、3ヶ月続け、お金が溜まったところで、学校をすっぽかして沖縄へ飛んだ。そこにはプロボクサーを目指しているような若者ばかりだったし、オリンピック選手がその監督の元にやって来たりと、新しい出会いがたくさんあった。練習は厳しく全然ついていけないことが多かったが、何より心が喜んでいた。また昔、人見知りだった自分がみんなに打ち解けて大阪弁を教えたりと、輪が広がっていった。子供の頃は愛想笑いをしているだけだったのが、自ら発信するようになっていったのだ。新しい環境でもそうやって生きていくことができる。他人に敷かれたレールの上を歩くのではなく、自分を前に出すことで自分の人生を歩むことができた。それが今の挑戦し続ける生き方の原点ではないかとジョーさんは目を細める。

意見の違いはそのひとの持ち味!自分から縁を切ることはしない

それからもボクシングに明け暮れる日々を送ったが、二十歳を前に新たなアクションを起こした。それが旅だった。より広い世界を見て、たくさんの価値観に触れることによって、生きている手応えを感じたかったのだという。まずはママチャリでの日本一周をスタートさせた。

「ひとりでどこかに行くのとか好きだったから、一人旅も余裕やろと思っていた。でも泊まるところもなくて、支えてくれる友達や家族もおらへんし、めちゃくちゃ寂しくなって孤独感が押し寄せてきた。そうして初めて自分は寂しがり屋なんだなとわかった。やけれども旅を進んでいくにつれて、その寂しさも楽しめるようになったし、改めておれって家族が好きなんやなと感じたりもできた」

自分の心の動きに繊細になったり、また様々な出会いもあった。自分よりも年下のホームレスのりょうくんは、家庭環境が悪く家を追い出され、24時間営業のファミレスで毎日を過ごしていた。ジョーさんは「毎日下を向いて生きているりょうになにか出来ることはないか」と思い、一緒に旅をしようと誘った。「旅の面白さや人生の面白さをおれが教えたるわ」と。実際は何をしたらいいのかわからなかったし、ジョーさん自身も孤独だった。しかし、一緒に旅をしていく中で、りょうくんは徐々に心を開いて前向きになっていった。

そのりょうくんとはずっと親交があって、今は就職して仕事をしているそうだ。りょうくんに限らず、ジョーさんは一度ひとと仲良くなると付き合いを切ることはまずないという。

「基本、おれから縁を切ったことは記憶にないな。よく違う意見のやつを嫌うひとって多いやん。『これが違うからおれはあいつが嫌いだ』とか。でもそれってそれぞれひとの持ち味やと思うねん。そいつがどんなやつでもそれをプラスに見ようとするというか、いいところを探しちゃう。だから偏屈であまり友達おらんやつとかでも全然好きになったりする。『お前おもろいなー』みたいな。子供の頃から誰とでも仲良くしようとしていたことが大きいかもしらん。ただ今は忙しいこともあって、誰にどれだけの時間を使うかとかは判断しているけど。例えばすごく依存気質な子とかだと、一回仲良くしただけで毎晩電話かけてきたりするやん。そういうひとに親切にしていると結局時間をお互い使いすぎて消耗しちゃうから距離感は大事かなと。でもだからといってひとを切ろうとはやっぱり思わへん」

旅や夢を語り合う大勢の仲間に囲まれ、バーやシェアハウスを運営

ひととの繋がりをもっと作りたいと思ったジョーさんは、旅好きが集まったり将来を語り合ったりするイベントを始めた。特に一番行っていたのはお互いの夢を語り合う「夢会」というイベントだった。夢というのはあくまでキーワードに過ぎず、それを通して何か人生のきっかけになるようなことがしたかったのだという。実際、夢を語り合うことで話し相手が鏡となって自分の人生が深掘りされていく。熱く語り合っているうちに泣き出すひとや、今まで人前で喋らなかったようなことを打ち明けるひともいた。

「最初は5~10人くらいで始めてんけど、だんだん増えていって最終的には300人くらいになった。300人とかになると、テーブルひとつに8人ずつくらいにわけて、そこにひとりスタッフの司会を置いて。とは言うてもスタッフの子らも今までそんなことしてきたことないから、どうやってひとに話を振っていくかとかをミーティングを重ねて教育していった。そのうち区長さんが来て壇上で語ってくれたり、参加した人たちから、『このイベントを通して夢ができた』とか『人生が変わった』というような声も溢れ、SNSでは結構知られるようになった。そこで知り合った人たちが語り合う場として、シェアハウスやバーを運営するようになったという感じやねんな」

旅や夢について熱く語り合う大勢の仲間たちに囲まれ、シェアハウスやバーという居場所も作った。しかし、今までの経験で得たことをバーテンとして話したりするアウトプットばかりの生活は、ジョーさんに「おれは挑戦してないやん」とまた思うきっかけとなった。そしてそのもやもやが、アメリカ無一文横断というビッグな挑戦に繋がることとなるのだ。

旅は人生そのもの!アメリカを無一文で横断することになった意外な理由についても

「アメリカに行こうと思ったのは、単純にアメリカ映画が好きやったから。ちっちゃい頃、親父と一緒に金曜ロードショーや日曜洋画劇場など見てて影響受けて。でも最初は無一文で行くつもりはなくて資金はあったねん」

では、なぜ無一文で行くことになったのだろうか。

「おれの周りには夢を追っている仲間たちがいっぱいおって、その中に自分より先輩やけど、当時すごく応援していたバンドがおった。すごく熱いエネルギーを持ったひとらで、音楽も喋りも上手いし、ライブを通してどんどんみんなを前向きにしていっていて。そのひとらはバンドを始めた当初から大阪城ホールで単独ライブをするという夢を持っていたんや。そしてついにその話が決まったわけやねん。おれもその時イベント団体の代表としてある程度集客力持っていたから、その大阪城ホールの客を集めるプロジェクトチームに入ったわけやねんな。大阪城ホールは借りる許可を得たとしてもチケットのボーダーがあるねん。その締め切りを1週間前に控えた時に、まだチケット枚数がそこに届いてなかったやん。これはやばいぞってなった。それで思うたんや。今、目の前で夢をかなえようとしているひとを応援できひんかったら、自分も夢を追う資格あるんかなって。しかもアメリカに行くとなったらそのプロジェクトチームから外れることになる。だから、本気で応援すると決めたからには今持っている資金を全部チケットに替えようと。それで無一文になったっていう(笑)」

ジョーさんは照れ隠しのような笑顔を浮かべながら答えてくれた。仲間のためだったら損得なしで行動してしまうところはなんともジョーさんらしい。そんなところも多くのひとを惹きつけている彼の魅力のひとつと言えるだろう。しかし、無一文でのアメリカ横断は想像以上に厳しいものだった。

「今は発信者として活動しているので、危険なところに行くときはある程度下調べしてから行くけど、この時は自信というか単なる過信で、何の情報もない未開の土地でもゼロ円で行けると思い込んでた。実際は、めちゃくちゃ手探りやった。どうやって生きていくかというのをフルシャッフルで考えて、まずは働き先みつけなあかんなと。じゃあどうしたらいいんやってことで、とにかく飲食店にどんどん話しかけて『働かしてください』って言うしかない。でも日本語しかできひんから日本人タウンに行こうと決めた。とにかく生きることに必死やった」

ただ、そうやって自分を敢えて不便な状況に追い込んだからこそ、自ら踏み出す瞬発力が生まれた。これがツアーなどの便利で安全な旅行だったらひとを頼ったりはしないだろう。ジョーさんはこの三ヶ月の無一文アメリカ横断を行ったことで、今の日常生活においてもその在り方は染み付いているという。例えば道に迷ったとしてもマップを見るよりも先にひとに聞くようになったそうだ。そういった出会いからまた生まれるものもあったりするし、また何か問題が起きたとしても、自分が行動を起こしたら必ず物事は動くと旅を通して実感した。だから将来に対してもそんなに不安がない。ジョーさんにとって旅とは人生そのものだと語る。

「おれの旅は、南米縦断もそうやけどほぼ全てが極貧中の極貧旅やから、常にどうやって生きていくかを考える。だから旅のイベントなどに呼ばれても、どこの景色が良かったとかあの料理が美味しかったとかよりも、自分の感情の揺れ動きや様々なひととの出会いとかの、人生そのものの話になってしまうんや。旅は自分探しに近いかもしらん」

YouTubeはバズる動画を入口に旅動画でファンを増やしていった

YouTubeを始めたきっかけは、カフェ経営をしている友達の助言からだった。心理学の免許を持っていたその友達は、ジョーさんをみんなの前に立つ演者向きと分析。そして「編集も撮影もこちらでやるから、YouTubeをやってみないか」と猛プッシュされた。とりあえずは広告収入で牛丼一杯を食べようというのが当面の目標だった。しかし初めの一年間は全く伸びなかったという。

「アメリカ無一文で横断したやつなんかおらんと思ったから、今までみたいなことをそのままやったら有名になると思ってた。だから2回目のアメリカ無一文横断を動画にしてYouTubeに全部アップしたわけやねん。でもチャンネル登録が300人くらいしかならなかった。『マジか!』みたいな。もう、何したらええんやと。ナイアガラの滝とか飛び込まなあかんのかとか(笑)」

それでも家の中で適当に撮っているひとたちの動画などは伸びている。そこには何か理由があるに違いないとジョーさんは睨んだ。それを分析するために他の閲覧数が高いYouTuberの動画を貪るように見始めた。カットのタイミング、編集の仕方、タイトル付け、どれくらいの尺かなど色々と研究していった。やがて徐々に数字も伸びていき、どういう動画がバズるのかもつかめてきたそうだ。

「電車でトークライブしたり、右翼の街宣車をヒッチハイク、あとは『AV女優になりませんか?』的な路上ナンパをしたらその恋人がやって来て川に突き落とされるとか、そういう動画がバズることがわかっていった。そしてYouTubeと紐付いているのはやっぱりTwitterやから、Twitterでそれを投げたら何万というリツイートがついて、さらに伸びていった」

ジョーブログというと旅企画の動画のイメージが強いが、実際旅動画は数字としては伸びないそうだ。しかしファンが着いてくれるのはそんな旅動画だとも。だから、バズる動画をいっぱい並べて入口を大きく取り、そこから興味を持ってくれた人たちが南米縦断といった旅動画に辿れるように導線も考えていった。そうやって視聴者を意識することで登録者は増え続け、さらにEXILEのATSUSHIさんからの応援があったり、「亀田興毅に勝ったら1000万円」企画を通して、今やジョーさんはチャンネル登録者数100万人を超える人気YouTuberとなったのだ。

これからの挑戦と瞬発力の高め方

ジョーさんにこれから挑戦しようと思っていることなども聞いてみた。

「まず5月半ばから6月あたりに大きな旅企画をやってみようかなと。その様子をまたYouTubeにあげていくので見ていって欲しい。それから今、ジョーズクラブというオンラインサロンをやってて、少しずつ盛り上がってきてるんやけど、これをこれからもっと盛り上げていきたい。キングコングの西野さんのように、月一のオフ会を色々な地方でもやっていきたい。もちろん、この『瞬発力の高め方』をもっと世に広げていきたいというのもある。『挑戦』と言うと熱く聞こえるけど、どれも楽しんでやっているから別にそれを『遊び』と呼んでもいい。おれはそんな挑戦をしているだけやねんけど、そうやって自分が頑張る姿を見せることが一番ひとを勇気づけることになると思うから、とにかく身体が動く限り、色々なことをやっていきたいなと思っている」

高校生の時に勇気を振り絞ってボクシングの監督にかけた一本の電話。それ以来、ジョーさんは常に新しいことに向かって挑戦し続けてきた。ジョーさんは言う。「結局、夢ややりたいことなんてなんでもええねんぞ」と。今、夢に向かって挑戦しているひとはもちろんのこと、自分のやりたいことがわからないというひとにも是非、ジョーさんの生き様に触れてみて欲しい。きっとあなたの足を一歩踏み出す瞬発力をもらえるはずだ。

ジョーブログ
JOE Vlog


YouTube〝ジョーブログ【CRAZY CHALLENGER】〟のリーダー。
”クレージーチャレンジ”をテーマに「所持金0円で冬のアメリカ大陸を横断」「南米をバイクとヒッチハイクで縦断」「アマゾンをイカダで川下り」「危険なスラム街・麻薬密売組織に潜入」「右翼街宣車に突撃取材」などといった常識外れなチャレンジに挑み続け、日本全国のファンを勇気づけている。

2017年5月には、AbemaTV1周年企画「亀田興毅に買ったら1000万円」で3000人の中からオーディションに合格。
元3階級王者に対して白熱した戦いを見せ、1420万人の視聴者に大きな感動を与えた。

この企画をきっかけにAbemaTVの「亀田×ジョー プロボクサーへの道~3ヶ月でデビュー戦~」という3ヶ月間の番組が始動。
宣言通り3ヶ月でボクシングのプロテストに合格し、2018年元日に行われたデビュー戦では見事勝利をおさめた。

取材・文 ねりな

フリーライター。アニメ・声優関連の仕事多め。『Fate/Zero アニメビジュアルガイド I』 、『ヤマノススメ -おもいでプレゼント-』劇場パンフレットなど多数執筆。ジョーブログ『瞬発力の高め方』協力。海外をバックパックひとつで旅するのが好き。英語は全然喋れないが、その分、なんとかなった時の達成感はたまらない。
Twitter:@nerina_tk

撮影 大川美帆(サンクチュアリ出版)


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