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分量なんかテキトーでもおいしい!滝沢カレンのレシピで生姜焼きを作ったら何かに目覚めた

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「あの透明とは言えないもらえるビニール袋」にキャストをぶちこもう!

「豚の生姜焼きでいちばん大切なことは、漬けることです。
あの透明とは言えないもらえるビニール袋、または銀か透明なボウルかチャック付き密閉袋をご用意ください。」

↑「あの透明とは言えないもらえるビニール袋」

わかりすぎて鼻水が出そうになりました。レジ袋は有料だけど、なぜかこの袋だけは無料。豚肉のパックなどを買うとなぜかこれに入れてくれる。ヨーグルトとかは入れてくれないのに。その違いは…一体何なの…!? そんなビニール袋、もちろんうちにもありました。

「豚肉は切るなら切ってください。仲間を作れば作るほど食べやすくなりますからね。そして、玉ねぎは半分だけ使いますから、半分はまたもや野菜室へ。

目の前の玉ねぎをまた半分にします。半分はみじん切りをしてマンモス学校にしてあげて、半分はスリムが集まる薄切りメンバーにしてあげてください。

みじん切りといっても、ハンバーグを作るわけではないのでどんなに大雑把な手つきでも許されます。

「半分の半分をまた半分にする」という何やら哲学ちっくな展開に一瞬頭がクラクラしましたが、大雑把な手つきでも許されるとのことでめちゃくちゃ雑に切らせていただきました。

ありがとうカレン先生。甘やかしてくれるレシピ本って新鮮です。

「そして生姜は本当の形をした生姜がおすすめです。

それを申し訳ないですが、引っかかる壁に生姜のほっぺを押し付けてスリスリさせ違う形にさせていきます。

キャストに襲いかかる突然の悲劇。

申し訳ないですが「違う形」にさせていただきますね。 ショリショリショリ…
キャストは煌めく金色の粉となり肉の上に散り果てていきました。

現代のツールを捨てよ。分量のない世界でともに生きていこう

「では楽しい漬かり時間です。うま味風呂につからせ、その味を豚たちのものとさせるので、いつもより濃いめに味をつけていきます。何らかの袋に入れるのは、当たり前に豚肉、玉ねぎ全て、生姜です。

台所でふり向けばあるお醤油を、まず豚肉たちが足湯ができるくらいの量入れ、お酒をさらに肩まで浸かるほど入れます」

わたしここまで料理してきてやっと気づきました。

このレシピ本、分量が書いてねぇ。

なんと、豚肉たちがお風呂に入っているていで、そこにお醤油やらお酒やらを注いでいくと言うではありませんか。

なんて美しい比喩表現。なんて豊かな想像力。わたしたちは「大さじ」「小さじ」というちっせぇツールに踊らされ、大切なことを見失っていたのかもしれません。

↑肩までお酒に浸かった豚肉「極楽じゃあ〜」

「みりんは入浴剤入れる程度に入れたら、ハチミツで潤いを少しあげ、さらにお砂糖を少ないからみんなで分けてね、ってくらいふりまかします」

そういえば、前に友だちと料理をしていたら、「砂糖”少々”ってどのくらいなの!?」と発狂していましたが、そんなちっぽけなことどうでもいいのかもしれません。

「少ないからみんなで分けてね」ってくらいでいいじゃない。そう。大量じゃなければいいんです。こまけぇことはどうだってさ。この世界はそうやってできてる。そうに違いない。

そうやって肉塊を気持ちよく揉みしだいていたところに衝撃の一文。

「せっかく気持ちよく浸かっていたのですが、ここからは出たくても出られなくなることを、まだあのメンバーは何も知りません。

そして物語は、突然のサスペンスへと変貌を遂げるのであった…。

「物語」に理由を求めるのはお門違いだ

「そっからは漬けるだけ漬けていきます。30分から半日漬けたっていいですし、忘れて次の日まで漬けたっていいです。

ただ忘れないでほしいことは、この手放してる間どんどんどんんどん中の物たちは濃くいかつい味へと変身していることだけです。びっくり驚くのは自分です。」

ということで、いかつくなる前にキャストたちを救出。

「手放し終わって、冷蔵庫で冷えた身体を熱したフライパンにオリーブオイルを絵描きのように広げたら、一気にあったまった鉄板にドバッと天地わからなくさせます。」

ドバッ

心なしかお風呂のお湯が多いような気がしますが、果たして大丈夫なのでしょうか…。心配するわたしを差し置いて、カレン先生はこう続けます。

「ガシャガシャかき回さずに、自力で姿に焼き目がつくギリギリまでわたしたちは助けません。ひっくり返す助けだけはしましょうね」

なるほど。炒め物というのはガシャガシャやってこそ炒め物だと思い込んでいたけれど、手助けせずに遠くから見守ることが必要だったんですね…。

なすすべもなく立ち尽くすわたし。がんばれ豚、と豚を鼓舞することしかできない無力さに打ちひしがれながら、ガシャガシャしたい気持ちを抑えて見守っていると…

「全身焼き目がつき成長したなと思ったら、最後に少しだけ、私たちが大好きなガシャガシャかき回して火や味を周りに染み込ませたら、もうお皿に移しても味を忘れない豚たちがいます。

勝手にこんな色に染まりやがって…

なんということでしょう。わたしの手を一切借りず、勝手に美しい黄金色に染まってしまいました。生姜焼きって実はガシャガシャしないのが正解なんですかね。いや、正解とかないか。これは、そういう物語なのだから…(悟り)

「そしてキャベツは千まで行かなくても500切りくらいして、水に沈めておきましょう。あとはマヨネーズを端っこに仲間に入れたら完成です。意外にも経験豊富な豚の生姜焼きでした。」

500切りしたキャベツ

キャベツを水に沈めてどうなるんだろうと思っていたら、なんと瑞々しくシャッキリとした歯応えのキャベツに変身して驚愕。

わたしは思いました。

どうして生姜焼きはガシャガシャ混ぜてはいけないんだろうとか、どうしてキャベツを水に沈めるんだろうとか、何をするにも「理由」を求め、納得しないと行動に移せないわたしたちは、なんと俗世に塗れし存在なのだろうかと。

キャベツを水からあげたときの新鮮な驚きは、きっと「理由」がそこに書かれていなかったからこそ得られたもの。

わたしたちは、「納得できませぇん」と御託を垂れる前に、「こういうことなのかもしれない…」と「とりあえずやってみる」幼き子どものような純真さを取り戻さなければいけないのかもしれません。

一時はどうなることかと思った生姜焼き。「キャストとして名を連ねながらもおそらく忘れられてしまった」トマトを添えて、完成です!

ところで煮ている最中、味見をしたら明らかに薄かったので醤油を足したら自分好みの味になりました。

たぶん『カレンの台所』は、誰がチャレンジしても「自分好みの味」になるようにできているんじゃないかと思います。

なぜなら料理に正解はなく、自分を信じて、自分で模索していくものだから。

カレン先生は、「豚の生姜焼き」を通じて、レシピに頼りすぎず、分量に囚われず、もっと自由に料理という「物語」を楽しんでいいんだよ、というメッセージを伝えてくれているような気がします。

そんな『カレンの台所』には、「面白いくらいにブったりした鶏肉」を浸かった唐揚げや、「無邪気にこんちくしょう」と混ぜてつくるハンバーグ、「フライパンが真っ赤に染まった夕日になる」エビチリなど、29のレシピが勢揃い!

「ふつうのレシピ本じゃ物足りないぜ」
「うちには大さじも小さじもないぜ」
「テキトーに作ってもおいしいごはんがいいぜ」

そんな料理を楽しんでみたい方はぜひ読んでみてください。きっと新しい扉が開けるはず…

この記事は、”カレンの台所” 滝沢カレン(著) の新刊コラムです。



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