ミニマリストのしぶさんは、家賃2万円、4畳半の部屋で暮らし、月の生活費は7万円。服や靴は毎日同じ。1日1食……「より少なく、しかしよりよく生きる」を実践するライフスタイルが今、多くの共感を集めているミニマリストしぶさん。彼が「ミニマリズム」にたどり着いた経緯を探ります。
目次
ミニマリストとはほど遠い裕福なマキシマリスト家庭に育った少年時代
1995年、福岡県北九州市生まれ。デイトレーダーの父、専業主婦の母、妹、そしてしぶさんという4人家族で育った。父より前の代には医者が多い、いわゆる「エリート家系」。父は、一族の間ではアウトローな存在であったが、巨額の遺産を元手に資産を成していた。
バブル崩壊後の生まれだが、幼少期の思い出は「裕福」そのもの。広大な家の庭には、毎月雑草を刈る業者が入っていた。車は2〜3台、物置も2〜3個置かれ、かまどやバーベキュー台も完備。関門海峡が見える山の上に立地し、家から花火大会を眺めた思い出も。「あれがほしい」「これがしたい」という望みは何でも叶う、“マキシマリスト”の家庭だった。
「『自分が恵まれている、めちゃくちゃ金持ちだ』という認識は普通にありました。親が『税務署に毎年チェックされる』とか話していたのを、よく覚えています。新作のゲームもすぐ買ってもらえるので、よく友達が僕の家に集まって遊んでいました」
風向きが変わったのは2008年。リーマンショックだ。しぶ少年は、中学入学と前後して家の中に現れつつあった変化の兆しを、敏感に感じ取っていた。
「実は、その頃の記憶は曖昧だったりもするのですが、ひとつはっきり覚えているのは、旅行に行く回数が減ったこと。小学校の頃は月に2回はディズニーランドへ行っていたのに、それがまったくなくなりました。40〜50回は行ったかな。今でもランドの地形はしっかり頭の中に入っています」
極貧暮らしで培われた「幸せに必要なのは金」という執念
毎日のように行っていた外食の頻度が減る、食卓にもやしが増える……などのじわじわとした変化を経て、父が自己破産。ほどなくして、両親は離婚した。父が家に残り、しぶさんは母に引き取られ、妹と3人でアパート暮らしをスタート。シングルマザーとなった母との暮らしは、貧しく、苦しかった。
「ショックだったけれど、『一般家庭はこんな感じか』と冷静に思う自分もいました。でも、自分以外の友達がちやほやされているのを見て、『昔は僕のほうが金持ちだったのに』と思ったりすることもありました」
金持ちと貧乏、人の持ち物や生活水準—すべてを手にしている「上」と、すべてが奪い取られた「下」の両方を知る経験をしたことで、さまざまな差異に敏感になっていった。
とはいえ、泣き寝入りしたり、世を羨んでばかりいたわけではない。
「足りない分は自分で稼ごう」と、当時流行していたカードゲームを転売するなどの“副業”をして、お小遣い稼ぎに勤しんでいた。
「月に1〜2万円とかは利益があったので、中学生が遊ぶ分には困らなかったです。5000〜6000円のスマホ代も自分で支払っていたし、意外に不便は感じなかったんですよね」
「幸せな人生に必要なのは金。そのためにはいい大学、いい企業に入るしかない」と執念を燃やし、地元では知られた中高一貫の進学校に高校から進学。学費は、奨学金と母のパート代から捻出された。ここで、しぶさんは「至って普通の学生生活」を送る。
「学力順にクラス分けされるのですが、高2までは下のほうのクラスでした。だけど、あるとき、めちゃくちゃ勉強するようになって、突然成績が伸びたんです。『バカクラスだけど、1番』みたいな(笑)。バカクラスだから授業内容もイマイチで、クラスの同級生もやる気がないので、仲のいいヤツと2人でサボって、図書館で勉強したりしてましたね」
成績も伸び、このまま行けば順調に大学へ進学−−のはずが、受験当日に体調を崩して実力を発揮できず。浪人が決まった。
「母のパートでは無理なので、受験にかかる費用も自分で出すように言われました。ずっと続けていた“副業”では到底足りないので、浪人生ながらバイトに明け暮れました」
プライドばかりが高い、“見栄っ張りでクズ”な浪人時代
このときの“バイト経験談”がおもしろい。なんと、日雇いでテキ屋の屋台のトラックに乗り込み、桜前線を追いかけて全国をまわったという。
「僕だけひとり10代で、朝から夜まで働いて、みんなでごはん食べに行って、大浴場のお風呂に入り、駐車場でトラックの荷台に布団を敷いて寝る、という生活を1カ月ぐらい続けました。店番をしているときには意外と暇な時間もあって、受験勉強もできるいいバイトだったんですよ」
春先のそのバイトで20〜30万円を貯め、本格的な浪人生活へ入ったしぶさん。しかし、アイドルグループHKT48の追っかけや、そのための費用を捻出するためのアルバイトに時間を取られ、勉強にまったく身が入らない。
しかも、「浪人するからには」とプライドはどんどん高くなり、「みんなに自慢できる慶應以外は行かない」と決意。意固地になるばかりで言行はまったく一致せず、気づけば2浪。いつしか大学進学も断念し、人生あきらめモードになっていた。
ミニマリズムと出会うきっかけは「冷蔵庫 なし」で検索したこと
目的意識のないフリーターだった19歳の頃、しぶさんの心に「このままでは嫌だ。まずは一人暮らしがしたい」という願望が芽生え始める。しかし、お金はないから、なるべく初期投資は抑えた形で家を出た。
いろいろと情報を調べる中で、ふと「冷蔵庫 なし」とGoogle検索したことが、彼の人生を大きく変えることになる。
「たどりついたのは、冷蔵庫を持たないどころか、電子レンジや洗濯機、テレビなど、一般的に必要とされる家具や家電をいっさい持たずに生活している人のブログでした。『こんなに少ない持ち物で、こんなに幸せそうに生活できるなんて』と衝撃を受けました」
これが、しぶさんとミニマリズムの出会いだった。その思想は、「とにかくお金を稼いで、物質的に豊かになれば幸せになれる」と思い込んでいた彼に、「物では幸せになれない」ということを気づかせてくれた。そして、自分の持ち物をどんどん処分し、必要最小限の物だけで暮らすように生活を変えていく。
僕が暮らす4畳半、家賃2万円の部屋。冷蔵庫もテレビもないし、テーブルもベッドも収納もない。
しぶさんの人生を大きく変えたもうひとつの要素が「ブログ」だ。フリーター時代にも趣味でブログをやっていたが、ある記事が注目を集めたことで20万円程度の収入を手にし、「このままアルバイトを辞められないか」と思うようになっていた。
そこで選んだのが、身辺雑記のブログをやめ、「ミニマリストブログ」へと大きく舵を切ること。信頼できる仲間の勧めでもあった。
「ブロガー仲間の八木仁平くん(@yagijimpei)が、僕の家に遊びに来たときのことを彼のブログに書いたら、その記事がめちゃくちゃハネたんです。『しぶの家何もないじゃん、これはおもしろいから絶対ブログに書いたほうがいいよ』と言われて、自分の強みに初めて気づきました。彼は恩人ですね」
ローンを組んでまでMacBookを購入したのは、「ミニマリストを仕事にする」という決意の表れでもあった。そして、「職業:ミニマリスト」を名乗り、本格的に活動を開始。半年ほどはアルバイトも並行して行っていたが、当時のブログ収入は9万円。しかし「6〜7万円あれば生きていける」こともあり、すぐに辞めることができた。
カーテンのない部屋で、日の光で起床。朝食兼昼食のプロテインを1杯飲んだら、仕事場となるカフェやコワーキングスペースへ徒歩で移動。ブログなどの記事を集中して執筆し、まだ日のあるうちに帰路へ。
お風呂代わりのジム、スーパーや商店街で買い物を済ませ、自宅へ。「1日1食」の夕飯を丁寧にとり、あとは自分の好きなことに時間を充てる。
これがミニマリストとしての、なんでもない1日の過ごし方だ。余計なものは何もない、そぎ落とされた暮らし。見栄は張らない、人の目は気にしない。
これが1日1食の定番メニュー。サツマイモor玄米、サーモン・マグロなどの鮮魚orサバ缶、アボカド、野菜スープ。
「僕の何もない部屋、ルーティンな生活を見た人にはよく『悟ってるね』とか『達観してるね』とか言われますが、ここにたどり着くまでに実は3年かかっています。でも、迷って悩んで、自分にとって大切なものを選び抜いてきたことで、見栄っ張りでもクズでもない、少しは人に胸を張れるようになった自分になれました」
乱立するミニマリストブログ界の中で、若さもいかした独自の視点でめきめきと頭角を現したしぶさん。いまや月間PV数は100万を超え、その勢いはまさに快進撃と言ってもいいだろう。
2018年5月には、初の書籍『手ぶらで生きる。見栄と財布を捨てて、自由になる50の方法』を出版した。
「昔から本が好きだったので、編集者から声をかけてもらったときは純粋にうれしかったです。サンクチュアリ出版は、僕も愛読している四角大輔さんの本を出している会社でもあるので、めぐり合わせを感じました。また、月に1冊に絞って出版しているという方針も、“そぎ落とす”“集中する”というミニマリズムに通じるものがあるな、と」
初の海外旅行で、日本のよさを再確認
本の制作開始から出版まで3カ月弱という“超スピード出版”だったが、執筆中には初の海外旅行も経験した。行き先はベトナム・ホーチミン。
「結果として、日本のよさを実感した旅でした。日本は治安もいいし、トイレもきれいだし、接客のおもてなしもすごい。ベトナムのお店の人って、客がいてもYouTube見たり、世間話したりしてるんですよね。あと、公共交通機関がないから、バイクの数がすごい。1回、轢かれそうになりました」
滞在中に使った額は1万5000円ほどだが、行きたいところや食べたいものは我慢せず、タクシーもバンバン使う“豪遊”旅だったという。そして特筆すべきは、初の海外旅行でありながら、体調を崩すようなことが1度もなかったということ。
「ベトナムのいいところは、フルーツや野菜が充実しているところ。食べるものをきちんと選べば、旅先の海外でも健康でいられる、ということがわかったのは収穫でした。日本で同じクオリティを保とうと思ったら、もっともっとお金がかかるでしょう」
海外旅行の魅力にハマったしぶさん。早くも次の旅行先として、地元・福岡からすぐに行ける韓国を挙げる。
「将来的には、海外生活もいいなと思います。ビザが下りる限界までいて、また福岡に帰ってくるとか。僕はキャリーケースひとつで日本中を旅した経験がありますが、宿や交通費のことを考えると、日本はコスパが悪いんですよね。タイや台湾など、物価が安くてごはんがおいしい国はいくらでもありますし、中国はIT化やキャッシュレス化が進んでいて“ミニマリスト向けの国”だとも聞いています」
ミニマリストと恋愛——「依存しない人、求む」
ミニマリストとしての言動に注目が集まっているが、出会った人から必ずと言ってよいほど聞かれる質問があるという。
それは、恋愛や結婚について。現在、1年半ほど恋人がいないというしぶさんだが、その“理想の恋”とは?
「依存しない人がいいですね。会うのは週1でいいです(笑)。毎日会っていると疲れるし、僕はLINEも用がないと送りません。会ったときに話せばいいと思っているので……」
両親が離婚した姿を見ていることもあってか、結婚観にも独特なものがある。
「書類に縛られるのは嫌なので、事実婚がいいです。離婚するときに『財産を持っているほうが損をする』という仕組みに納得がいきません。いまや3分の1が離婚する時代なのに、制度が追いついていないように思います。『結婚は一生に1回』という価値観は、あまりにもリスキー。面倒くさいことなしに、もっと気楽に別れたりくっついたりできればいいのに、と思いますね」
そんなしぶさんが注目しているのが、「カップル同士が小屋と小屋に住む別居婚」。世界中で徐々に流行りつつあるスタイルだという。
「家族になって距離が近くなりすぎるから、うまくいかない。カップルが、いい意味でずっと“恋人の延長線上”にいられるような仕組みができあがっていけばいいのに、と思います。少し前に『逃げるが恥だが役に立つ』というドラマが流行ったのも、こうした違和感を感じている人が多いからではないでしょうか」
ちなみに、初回デートは「食事・2時間だけ」と決めているという。気分が高まれば、その後イルミネーションや季節の行事に足を運ぶこともあるが、基本的には「2時間きっかり」で終了。
「だらだら一緒にいてもいいことはありません。『2時間でお別れ』という縛りがあるからこそ、次のデートも楽しみになる」
「ミニマリスト」の本質をシンプルかつ鮮やかに提示し、世間をあっと言わせ続けるしぶさん。
弱冠23歳、いささか「極端」とも思えるそのライフスタイルは今、大きな共感と賞賛をもって、世の中に受け入れられ始めている。
これからは、ブログや本という枠組みさえ超え、新たな仕掛けで私たちに「ミニマリズム」のよさを説いてくれるのだろう。
(取材/文 中田千秋、写真 榊智朗)
ミニマリストしぶ/澁谷直人(しぶやなおと) 自身の生活や考えを綴った「ミニマリストしぶのブログ」は、月間100万PVを超える人気ブログ。 1995年生まれの福岡県北九州市出身。ほしいものはなんでも手に入る、超裕福な “マキシマリスト”の家庭で育つが、中学進学と同時に、父親の自己破産が原因で両親が離婚。 「ほしいものが買えない自分は不幸」と毎日お金のことばかり考える思春期を過ごす。フリーターだった19歳のときに、ひとり暮らしをしようと思い立ち、Googleで「冷蔵庫 なし」と検索した瞬間から人生が一変。 必要最小限での生活に目覚める。現在もなお、福岡で家賃2万円・4畳半の小さな家に住み、生活費7万円で幸せに暮らす。 財布を持たず、服は同じ物を複数購入して毎日同じコーディネート(私服の制服化)。時間も思考も人間関係も必要最小限。 お金や物だけでなく、人生のあらゆる局面において、よりストイックに、よりミニマルに自分を研ぎ澄ます。 「ミニマリズムの魅力を広める」を目的に事業を展開する「Minimalist」の 代表。 ・ミニマリストしぶのブログ:https://sibu2.com ・Twitter:@SIBU__ ・Instagram:@minimalist_sibu