私が著者になるまで

ほんの少しの勇気で、人生は動き出す 齋藤邦雄

#私が著者になるまで

ITベンチャーに入社するも、パニック障害が発症

聞き手
就職先にITベンチャーを選んだのはなぜですか。漫画の世界とはかけ離れているイメージですが。
ベンチャー企業の社長が出ていたテレビ番組を観て、「こんなかっこいい生き方もあるのか」と思ったのがきっかけです。ちょうど漫画では行き詰っているところ、独力で生きる新たな道を提示されたようで、あこがれました。
齋藤さん
聞き手
実際に新たな世界に飛び込んで、どうでしたか。
それが、まったくうまくいきませんでした。実は22歳ごろからパニック障害の発作が出るようになり、電車に乗れなかったり、外食できなかったりと、生活に支障が出ていました。加えて、会社の同期が400人弱いて、自分より優秀な人をたくさん見たこともあり、明るい未来がどうしても描けませんでした。
齋藤さん
聞き手
それで再び漫画の世界に戻ることにしたわけですね。
はい。20代も後半に差し掛かり、ここでチャレンジしなければ、一生漫画家になることはないと感じました。それで「30歳まで」と期限を区切り、もう一度漫画を描いてみようと思いました。そして、大好きな漫画家であった福本先生のアシスタントに応募したんです。
齋藤さん
聞き手
なるほど。
福本先生との面接では「職があるならやめたほうがいいよ。漫画家は、なることはできるかもしれないけれど、食っていくのは大変な仕事だよ」と言われました。そうして覚悟を問われていたのだと思います。
齋藤さん
聞き手
プロの厳しさが伝わってくる言葉ですね。それで晴れて採用されたと。
はい。3年契約で、アシスタントとなりました。「連載が終わればチームは解散」というのが当たり前の業界にあって、3年契約という保証があったのは大きかったです。生活面が安定しました。
齋藤さん
聞き手
アシスタント時代には、どんな思い出がありますか。
漫画の作り方から、どうやったらより素早く原稿を描きあげるかまで、たくさんの学びがありました。特に印象に残っているのは、福本先生の「迷ったら読者にわかりやすい方を選んでいる」という言葉で、これは今でも大切にしています。
齋藤さん
聞き手
そうして3年のキャリアを積んだ後、30歳で独立し、その年に見事デビューを飾りましたね。
そうですね。審査に時間のかかる賞への応募より、連載作家を探している編集部に持ち込みをかける方法をとったのですが、そこで運よく「GANMA!」という漫画アプリでの連載が決まりました。
齋藤さん
聞き手
どんな点が評価されたのでしょう。
それが、「漫画というより、応募文章がいい」と……。
齋藤さん
聞き手
文章……ちょっと意外な採用のされ方ですね。でも確かに、読み手に訴えかけるような力のあるセリフの入った漫画は、心に残りますからね。この頃から、漫画だけで生計をたてられたのですか。
いえ、大学の事務職をやりつつ漫画の連載をしていました。デビューから4年ほどで、週刊誌の連載、ビジネスコミックや広告漫画の仕事が入るようになってから、漫画一本で食べていけるようになりました。
齋藤さん