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迷ってばかりの私に「自分の生き方」を教えてくれた6つの出会い/新田真由子

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地域の魅力や課題を発信するPRプロデューサーとして福島県に住む新田さん。20代のころ滞在したカンボジア、東日本大震災のボランティアとして訪れた石巻市、被災地実習の授業をした福島大学……さまざまな場所での出会いを経てたどり着いた、自分に納得のできる生き方とは?

「自分の生き方」にたどり着くまで

プロローグ

みなさんにとって大切なものはなんですか? 私は自分の大切なものを大切にする生き方が、「自分に納得のできる生き方」だと考えています。私が大切にしたいのは、自分に大切なものがあるように、誰かや何かが大切にしてきたもの、受け継いできたものも大事にし、尊重するという想いです。

私は岐阜県出身ですが、現在住んでいるのは福島県。職業はPRプロデューサー。PR代行、フォトグラファー、取材ライター、地域コーディネーターなど、いろんな仕事を通じて地域の魅力や課題を伝えるほか、想いを様々な形で届けたい方のサポートもしています。「何屋さんかわからない」ことが自分の弱みだとずっと思っていました。でも福島に来てからは「いろいろできる」からこそ役立てることもあり、それも価値だと感じています。

岐阜生まれの私がなぜ福島にいるのか。それは追々お話しするとして、まずは私がどんな子どもで、どんな価値観を持って育ってきたのか、お話しさせてください。

私の育ってきた環境、価値観

両親は共働きで、幼いころ、母がパートの日は、曽祖母の家に預けられていた私。曽祖母や祖父母と過ごした時間が長かったため、昔の人たちの経験や、受け継がれてきたものへの共感がありました。

また、父が家の壁に、曹洞宗の「五観の偈(ごかんのげ)」という食事前に唱える言葉を飾っていて、それも私の価値観に深く刻まれています。「功の多少を計り彼の来処を量る」、つまり、この食事ができるまでに携わった多くの方々の苦労や食材の尊さに感謝していただきます、という意味。特に強制された記憶はないですが、幼いころから身近にあったので、大人になって家を離れたときにソラで言えるようになっていました。

あとは、保育園に通っていたころ近所で山火事があり、消防団だった父が火消しに行ったときのこと。父は山から火傷を負ったウサギを連れて帰ってきました。山も自然も人間だけのものではなく、そこには動物もいる。人間も動物も自然の一部なんだと幼心に思いました。それ以来、土地開発がされるたびに「便利になってうれしいけど、そこにいる動物はどうなるんだろう」と考えていたことを憶えています。

中学生になり興味をもったのが海外。英語が得意で大好きでしたので、将来は世界中の困っている人の役に立ちたいという夢を持っていました。ただ、地元岐阜県の高校、愛知県の大学と人生が進むにつれて「真面目に生きること」や「夢をもつこと」がいけないような気持ちになり、英語の勉強も挫折。目標が見えず、自分らしさもわからず、就職も考えられず、楽しい学生生活ではあったもののいつもどこか悶々としていました。

そんな私を心配していただろう父は、私へのメッセージを誰かの言葉を通して手渡してくれたことがありました。そのうちの2つがこちらの色紙とコピーです。「もっと惨めになってもやけを起こすな もっと貧しくなっても泣きごとを言うな もっと苦しくなっても弱音を吐くな」、「やり直しのきかぬわが人生 だがこれからの生き方を変えることは出来る」。これは20年以上たった今でも手元にあります。

私の歩んできた道のり

ただ、やっぱりやりたいことが見つからず、大学を卒業して就いた仕事は4か月で退職。当時はちょうど派遣社員の制度が始まったばかり。いろんな仕事が体験できてお給料もそこそこいい派遣社員は私にとって魅力的でした。派遣社員として働きながら、中学時代に憧れた海外へ合間をぬって長期で行くような生活をしていました。

私の大まかな経歴はこんな感じです。

いろんな場所に行き、いろんなことをしてきた人生。特定のキャリアを積んできたわけではない自分に引け目を感じたり、両親に心配されていた時期もありました。でも、その過程でさまざまな出会いや経験を積み重ねてきた結果、いまでは「自分の生き方」「納得できる生き方」ができていると自信をもって言えるように。

ここからは、私の人生に影響をくれたエピソードを6つ選んでお話ししたいと思います。