すべての挫折は、「無敵」になるためのステップでした/水輝ハニー

水輝ハニー

「手がけた事業は全部成功させてきました」と、笑顔でサラリと言ってのける女性起業家・水輝ハニーさん。だが、ここに至るまでには破産、夜逃げ、離婚、シングルマザー時代の難病……まさに「苦労のフルコース」とも呼べるような壮絶なストーリーがあった。

「社長の娘」としての何不自由ない生活が
バブル崩壊とともに一変

1972年、東京の下町生まれ。祖父も父も経営者という実業家一族に生を受け、いわゆる「社長の娘」として、何不自由なく育った。
学校では、友達と群れることをせず、いつでもひとりの世界に没入していたハニー少女。しかし、ルックスや話し方から、「ぶりっ子」と揶揄される経験もした。
「女子の派閥には一切所属していないのに、なぜか目立ってしまい、距離を置かれる存在になってしまう。居心地の悪い毎日でした」
「横並び」を良しとする学校という場では、ずっと生きづらさを抱えながら過ごしていたという。
家庭では、父から直接教わる機会は多くはなかったが、その後ろ姿を見ることで「経営者マインド」が自然と養われていった。一方、専業主婦の母親は、いわゆる「教育ママ」。
自分の理想を追い求め、幼い頃からピアノ、習字、琴、絵画など、娘にさまざまな習い事を課した。しかし、ハニーさんいわく「ひとつも物にならなかった」。支配的なその母娘関係に、息苦しさを覚えていたという。
「高校の頃は、ヴィトンのバッグを持って、ロレックスの時計をして学校に通っていました。いわゆる、バブル時代ですね。それが普通のことだと思っていたし、お金の苦労は一切したことがありませんでした」
ところが19歳の頃、その日常は一変。バブル崩壊にとともに、父の事業が破綻したのだ。
一家は夜逃げし、父は蒸発。母は半狂乱になり、父親に対する呪詛の言葉を繰り返すばかり。債権者への対応や弁護士との打ち合わせといった「父のしてしまったことの後始末」は、長女であるハニーさんが一手に引き受けることとなった。
「倒産した途端、いままで父をちやほやしていた人が、手のひらを返すように態度を変えるのを見て、『お金はこんなにも人を変えるのか』というのを、まざまざと実感しました。そして、母の様子を見て、『女も自立しなくては』と強く思うようになったのです。この決意のおかげで、男の人に頼ることが一切できなくなり、これは40歳過ぎまで尾を引きました」
この経験は、10代の少女にある決意をさせた。「絶対に成功者となって、お金に振り回されない人生を送ってやる!」。そして、「経済的に自立した女性になる」と。
10代で体験するには強烈過ぎるともいえる出来事を通じて、その決意は潜在意識に深く刻み込まれた。そしてそれは、後の彼女の経営者人生、さらには女性としての生き方のベースともなっていった。
大学は中退。家族の生活を支えるために、アルバイトをいくつも掛け持ちした。夜の仕事もした。当時を振り返り、「私、意外と夜のお仕事で人気があったんですよ」とあっけらかんと笑うが、その生活は苦渋に満ちていたであろうことは想像に難くない。

 

できちゃった結婚、そして年子育児
人生最大の「モヤモヤ期」に突入

23歳のとき、さらなる転機が訪れる。結婚と出産だ。
「できちゃった結婚です。当時の夫はパティシエの卵だったので、お金はありませんでした。定期的な収入は月に5〜10万円程度。これでは暮らせないので、実家に居候をしていました。道端に生えているドクダミで、化粧水をつくったこともありましたね」
年子で2人の子どもを出産。子育てに邁進し、母親という役割をこなしながらも、その単調な生活に「なにかしたい」「これじゃない」という違和感ばかりが募る日々。
ハニーさんいわく、人生最大の「モヤモヤ期」だ。いまのように、インターネットで情報が得られるという時代でもなく、どう動けばいいのか途方に暮れていたという。
「子育ても偉大な仕事ですけど、私には向いてなかった。毎日同じことの繰り返しで、つらかったですね。『自分らしさを表現することで豊かになる』ためにはどうすればいいか考えるものの、そのための方法がわからず、悩んでいました。女性が起業するための情報なんて、皆無に等しかったですしね」
その頃に憧れていたのは「作家」。
「いまはSNSなどで誰でも発信できる時代ですが、当時は、自分を表現する仕事というと作家ぐらいしか思いつかなかった。村上龍さんや林真理子さんが大好きでよく読んでいたのですが、彼らは小説だけでなく、エッセイもおもしろい。『自分のことを書いて、それがお金になるなんて』と憧れていました」
当時の写真がある。撮影されたのは、間借りしていた義実家。ビリビリに破られた障子の前に、2人の幼子が佇む。そしてその奥に見えるのは、発売されたばかりの、大きな箱のようなアップルPC。
現実は、2人の育児に追われる日々。夢は、自己表現。その狭間で揺れる母親、そして女性としてのハニーさんの気持ちが、痛いほどに伝わってくる1枚だ。
そんな悶々とした日々がしばらく続いた後、当時のパートナーとの共通の目標だった洋菓子店を千葉県成田市にオープンする。
「家賃も東京より安く、競合がいない。空港がある関係で、“東京価格”でも勝負できる」というのが、成田を選んだ理由だ。開店資金を貯めるために、再び夜の仕事もしたが、そこに悲壮感は一切なかった。
「『そのときにできることはすべてやる』というのは私のポリシーです。お店でナンバーワンにもなり、『自分の店、出してみない?』というお声がけもたくさんありました。やるとなったら徹底的にやる、それだけです」
開発途上の新興住宅地で、洋菓子店は東京並みのおいしいものを求める人たちで連日大賑わい。出店は大成功だった。

 

幼子を抱えて起業
「女社長」に突然の試練が訪れる

洋菓子店が軌道に乗り始めると、持って生まれたDNAに刻み込まれた「経営者マインド」がさらに疼きだす。洋菓子店は、あくまで「夫の手伝い」でしかない。ハニーさんは、「自分自身の事業」の立ち上げを目指し始めたのだ。夫の起業に立ち会ったとはいえ、商売についてはまったくの素人。2人の幼児を抱えた「一介の主婦」の、無謀ともいえるチャレンジであった。
選んだのは、大好きだった美容の道。知り合いのツテを頼り、とある美容の先生に師事。かばん持ちとして付き従い、技術や接客、業者との交渉術といった「業界のイロハ」を一から学んだ。
そして、27歳のとき、エステサロンを開業。いまのハニーさんの姿からはなかなか想像できないが、自ら店頭に立ち、施術も行った。そして、丁寧な仕事ぶりが評判となり、地元では知られた有名店へと成長していく。
とはいえ、ただ「なんとなく」繁盛店になったのではない。地元のタウン誌に大きな広告スペースを確保し、「ハニーの部屋」といった読み物コーナーを掲載。サービス内容や料金を大きく載せる広告が大半を占める中で、その独特のスタイルは多くの人の目を惹いた。簡単に言ってしまえば「差別化」だが、後のハニーさんのビジネススタイルにも通じる戦略といえるだろう。
次にオープンしたネイル・まつげエクステサロンも大ヒット。ちょうどジェルネイルとまつエクが爆発的なブームとなっていた頃で、時代も追い風となった。
しかし、そんな彼女を、思いがけない試練が襲う。突然の病に倒れたのだ。
病名は「ギラン・バレー症候群」。神経系の難病で、この病で命を落とした有名人の報道も記憶に新しい。
当時は仕事だけでなく、前夫との離婚問題も抱え、ほぼシングルマザーの状態。娘は小4、息子は小3。仕事と育児を一手に担い、長らくギリギリの状態だった。
「その頃の写真を見てみると、黒のパンツスーツに、デキる女風のショートカットで、いかにも“ザ・女経営者”という感じ。1杯のお茶をゆっくり飲む暇もありませんでした。それだけ多忙なのに、ビジネス書を1日に1冊読むことを自身に課していた時期もあったり。とにかく、『すべてを自分でやらなくてはいけない』と、肩にすごく力が入っていました」
19歳で直面した「父親の事業の倒産」という強烈な体験の際に、「人に頼らない」という意識を植えつけられていたハニーさん。事業がどれだけ大きくなっても、自分ですべてをまわさなければ気が済まない。体も壊して当然だった。
「意識不明に陥り、2週間もの間、生死の境をさまよいました」
幸いなことに意識を取り戻し、奇跡的に回復。そして、この病気の経験は、ハニーさんの「人に頼らない」という強固な意識を氷解させることとなった。
「昏睡から覚め、寝たきりの状態が続くと、病室に家族やスタッフが入れ替わり立ち替わり来てくれて。私にごはんを食べさせてくれたり、手をマッサージしてくれたりするんです。しかも、みんな笑顔で。その顔を見て、『あ、私、みんなに頼っていいのかも』と思えるようになったんです」
仕事では、任せられる部分は人に任せるようにした。自分の見えないところでビジネスが動くことが「最初は不安だった」というが、思い切って任せることが、スタッフの成長につながった。結果として、自分がすべてを手がけていた頃よりも、物事がうまくまわるようになった。
病の遠因ともなった、心の奥底に根深く巣食っていた「人に頼れない症候群」が完治したのは、現在の夫の存在も大きい。
7歳年下の彼とは、クラブでナンパされたのがきっかけで、36歳のときに再婚。サラリーマンだった彼は仕事を辞め、銀行や役所との交渉をはじめ、経理など事業の実務的な部分を担ってくれることになった。
ハニーさんは、自身が最も得意とする「事業をクリエイトする」仕事に専念することに。「ハニーの背負ってるその重い荷物、ちょっと貸してみなよ。一緒に持つよ」と、初めて言ってくれた相手だった。
「前の夫には頼れませんでした。いまのダーリンは、『ハニーが笑顔でいてくれることが、僕の幸せ』と言ってくれる人。肩に入っていた力も抜け、いまでは家事もすべてお任せしています(笑)」
「苦手なことはしない」と決めてからは、本来自分に向かない分野の仕事をパートナーが担ってくれるようになっただけでなく、たまたま母親との同居が決まり、家のことも任せられるようになった。「自分が動きやすい状況」に、周りが勝手に整っていったという。
ハニーさんがいるのは「自分が中心」である世界だ。相手を振り回し、相手に嫌な思いをさせるということではない。自分が笑顔になることを優先することで、相手も笑顔になる。この原理原則がベースとなった世界を手に入れたとき、女は最強になれるのだ。


彼女のまとう独特のオーラ、通称「ハニーフラッシュ」を浴びたいという人で、トークイベントやセミナーは、毎回キャンセル待ちが出るほどの人気。

 

「人に頼れない症候群」を克服し
自分が世界の中心にいる「無敵」の状態へ

「普通」の経営者であれば、このまま美容関連の店舗を拡大していくことを考えるだろう。しかし、ハニーさんはそうではなかった。次に手がけたのは、アンチエイジング料理をコンセプトとしたダイニングレストラン。目玉メニューはパンケーキだ。当時、サロンの仕事が多忙を極めていたため、「自分が食べに行きたいと思えるような、体に配慮したメニューのお店」をつくりたいという気持ちもあった。
「今の夫と海辺を歩いていたら、突然、空から『パンケーキ、パンケーキ……』と声が聞こえてきて(笑)。それで、これはやるしかない! と思い立ったんです。当初は、まわりの人ほぼ全員から反対されました」
家族や友人、同業者のみならず、「知り合いの知り合い」といった人からの言葉までが耳に入ってきたという。「あなたが失敗して苦しむのを見たくない」「二兎を追うものは一兎も得ず」「ちょっと成功したからって、スケベ根性を出すな」。まさに「全否定」だ。しかし、外野がなんと言おうと、ハニーさんが怯むことはなかった。
「私には、『絶対に成功する』ビジョンが見えていたんですよね。お店に来てくれる人や、働いているスタッフの笑顔が、始める前から見えるんです。そうなったら、周囲の反対は関係ありません。行動あるのみです」
飲食業は「儲からない」事業だ。美容サロンという業態を成功させていた彼女を、周囲が止めるのは当然のことだっただろう。当時、飲食に関する知識や経験はほとんどなし。父の事業を手伝っていた頃に、カフェを任されていた程度の知識だったという。しかし、ここで経営者一族に生まれたからこそ培われた“経営者脳”が力を発揮する。
「飲食店は、オーナーの趣味に走ってこだわろうと思えば、いくらでもこだわれるもの。そこを私は、徹底的にシビアに行きました。内装や食器などは、採算を考えて厳しい目で選びました」
大方の予想を裏切り、パンケーキブームの追い風も受けて、お店は予約なしには入れないほどの大繁盛店となる。その後、勢いに乗り、デザインスタジオ、洋服と雑貨のセレクトショップ、レンタルスペースなども次々とオープン。複数の事業を束ねる司令塔として、パートナーやスタッフとともに、経営に奔走した。上の子と13歳差で授かった第3子出産後も、授乳しながらすぐさま仕事復帰を果たした。
持って生まれた“経営者脳”を使って、事業をシビアにドライブする力。病の経験を経て得た、良い意味で「人を使う」ことができる力。ここに、女性としてのしなやかさ、したたかさが武器として加わることで “無敵”の状態となったハニーさん。
過去のつらい経験のすべては、彼女の血肉となった。「私は強運」と言い切り、思い描いた願望を次々と実現していく。
幼い頃「ビリビリの障子の部屋」にいた姉弟も、思春期に新しい父親を家族に迎えるという難しい経験をしながらも、まっすぐに育った。日本式の教育システムに異を唱え、「かわいい子には旅をさせよ」を信条とするハニーさんだが、彼らの教育資金を稼ぐことも、ビジネスを推進する原動力のひとつだったという。
娘は全寮制の中学を卒業後、高校はカナダに留学。息子は日本の高校を自主退学後、世界中を放浪。現在は日本に戻り、表現者としての活動をしつつ、ハニーさんのビジネスをサポートしている。私学の高い学費を捻出するのは簡単なことではなく、毎月が綱渡りの状態だった頃もあったが、「その経験が、私の器を大きくしてくれた」と振り返る。

 

“発信”することをビジネスに
すべての事業を手放し、新たなステージへ

そして、ハニーさんを語るうえで欠かせないのが、「情報発信」だ。ブログは2007年、まだ黎明期といえる時代に開始。当初は、経営していたエステサロンの「女社長ブログ」だった。
しかし、地道な発信は、店の集客だけでなく、「水輝ハニー」のファン獲得にもつながった。この積み重ねは、現在の仕事のメインである、コンサルやセミナーを中心とした女性起業家支援ビジネスの礎ともなっている。ジェルネイルやまつエク、パンケーキなどと同様、「時代を読む」力が、ここでも発揮されていたといえるだろう。
「いまは、自分のことを発信することがビジネスになっている。モヤモヤ期に思い描いていた『自分らしさを表現することで豊かになる』ということが、気付いたら実現していたんです」
2017年には、長年の夢だった出版も実現した。「出版」を初めて思い描いたのは、社会や学校になじめず、「本」や「本を書く人」に憧れを募らせていた高校時代のこと。
ひとりぼっちだった「活字中毒の少女」は、コツコツとブログを書き続けることで、大きな夢を手にしたのだった。SNS全盛の現代らしい夢の叶え方ともいえるだろう。
そして、17年間にわたって身も心も捧げるほど夢中になった「経営者」という仕事だが、現在は、すべての事業を譲渡するなどして整理。昨年、成田から軽井沢に一家で移住した。
大自然に抱かれ、無理のないリズムで日々を送ること。浅間山を眺めながら朝風呂を堪能し、朝食は新鮮な食材を使った夫の手料理……そんな、誰もが憧れる優雅な生活を手に入れたハニーさんは、ゆったりとした時間の中で、この地で仕掛ける新たな事業のアイデアを練る日々を送っている。
なお、「自由恋愛」主義であることを公言(夫も「ハニーの幸せが、僕の幸せ」と容認)している彼女には、東京に“ボーイフレンド”がいたが、最近、お別れしたという。
「大人だからこそできる恋愛で、彼とは純粋無垢な美しい時間を過ごしました。軽井沢までわざわざ会いに来てくれたこともあったし、東京では息子と一緒にショッピングをしたこともありました。でも、軽井沢に来て、自分が宇宙の一部であること、そして生きる歓びをより濃く感じる中で、ペースが違ってきてしまったのかもしれません」
自分らしくいるために、不要なものを手放すことは彼女のポリシーでもある。生まれ育った家への執着もなく、父や母とは疎遠。30代半ば、シングルマザー時代に血を吐く思いで建てた夢の一軒家も、軽井沢移住であっさりと離れた。
「私、友達いないんです(笑)。もちろんママ友なんて一人もいないし、付き合いのための飲み会やゴルフには一切参加しません」
自分にとって大切なものを見極め、それだけを抱きしめて生きていくこと。自分の心の声にしっかりと耳を傾け、けっしてないがしろにしないこと。
その選択の繰り返しが、いまの「自分をいかし切る」ことを生業とするハニーさんをかたちづくっているのだろう。
当然ながら、世間で言われるような「理想の妻」「理想の母」を目指すことはしない。そこから外れていることで外野から野次られる声も、耳には入らない。彼女にとって大切なのは、ただただ、「水輝ハニー」であることだけなのだ。
今後は、軽井沢の邸宅を拠点とし、女性起業家支援のビジネスを中心に、これまでに培ってきた自身の資源をいかしたサービスを展開していくという。
その傍らには、プロの主夫として自らを支えてくれる夫と、事業をサポートしてくれる長男が、まるでナイトのように寄り添う。まだ小学生の下の息子も、軽井沢の厳しい冬を乗り越えるべく、その小さな手で薪ストーブの準備を手伝う。「人(特に男性)に頼れなかった」若かりし頃からは想像もつかなかったであろう光景だ。
軽井沢の「ハニー邸」で行われるビジネスセッションは、主宰するビジネス塾の塾生を中心に、すでに評判となっている。ハニーさんが送る、心の枷を取り払うようなあたたかい、それでいて現実的なアドバイスは、多くの参加者を魅了。彼女たちを前向きにさせ、次への第一歩を踏み出す力強い後押しになるという。ハニーさんの発するオーラ「ハニーフラッシュ」を浴びるだけでも価値がある、とする参加者も多い。宿泊を伴うセッションでは、夫が振る舞う心のこもった手料理も好評だ。
現在、45歳。手間ひまを惜しまずに磨き上げられた美貌と、豊かな経験を重ねた者にしか出せない柔らかいオーラ。そのすべてが「水輝ハニー」らしさとなり、ビジネスにつながっている。新たな夢を描いて溢れ出るイメージは、とどまるところを知らない。
「人生は、自分が思い描いたようにしかなりません」
数々の成功を手にしてきたハニーさんの目は、過去の栄光ではなく、確実に未来を見つめている。

 

 



水輝ハニー Honey Mizuki
1972年生まれ。実業家。
保育園児の年子2人の育児中だった27歳のときに、まったくの素人から起業。
「洋菓子店」「エステサロン」「ネイルサロン」「セレクトショップ」「ダイニングレストラン」など、次々と繁盛店に成長させる。
プライベートでは、実家の破産、夜逃げ、結婚、出産、離婚、原因不明の難病、再婚を経験。現在は、3人の子どもとパートナーとともに軽井沢在住。
その生きる姿が多くの女性の共感を呼び、ブログは月30万PVを誇る。トークイベント、セミナーは毎回キャンセル待ちが出るほどの人気。

 


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